「脱幸福」論
みんな「幸せ」になりたいらしいです。
多くの人が「人は幸せになるために生まれてきた!」と言います。
そんで少し成功した人は謎に独自の「幸福論」を語りたがります。
(これはアルファの特性ですね。「俺に着いてくれば「幸せ」になれるぞってやって教祖になりたいわけですね。まあ大衆人身掌握の最適解でしょう。)
それで「幸せ」なのであればそれで良いでしょう。他人の人生なのでその人が良いのであれば文句はありません。
自分が疑問なのは、そういう人達(幸福論を語る側も語られる側も)が全く幸せそうに見えないことです笑
だってずっと、一生「幸せ」追いかけて続けてんだもん笑
そういう人達見てて思うんですよ。
「君たちいっつも「幸せ」追っかけてるけど、いつ「幸せ」になれるの?(°_°)」って。
そもそも、「人生の目的は「幸せ」になることだ」っていうのが人生を窮屈にすると思うんですよ。
俺は「幸せになりたい」なんて全く思ったことないし、「幸せ」なんてものを追いかけたことはないのですが、間違いなく今、人生で一番「幸せ」であると断言できます。
というより、基本的に自分はずっと「幸せ」だと思ってるんですよ。
さすがに非モテコミットしてブリトニーや風俗嬢にこっ酷く振られた時に関しては不幸のどん底を感じました笑。
モテない時は不満や不安がありました。でもその時でも幸せになりたいなんて全く思ってなかった。
でも割とすぐに立ち直りました。だって、現代日本に生まれただけでどう考えても自分は幸福なんですから。
・少し前に生まれていたら戦争に行かなければならなかった、自由恋愛すらできなかった
・スマホもなく、アプリも無い時代に生まれていたら多分俺は一生彼女できなかった
・今みたいにコンビニや千円ランチで美味いものを食べることなんてできなかった
・YouTubeで動画見放題なんて環境は手に入らなかった
・ていうかインターネットすらなかった
少し過去と比較するだけで自分がいかに恵まれているかわかります
・世界には生まれて間もなく死んでしまうような子も沢山ある
・いまだに言論の自由もない国がある
・いまだに身分制度があり下の身分に生まれた時点で負け組を決定づけられる国がある
・ていうか人種差別が酷く、被差別側に生まれたら不幸が決定づけられる国がある
同時代で比較しても完全に恵まれていると言えます。
だからどう考えてもぼくたちは「幸せ」なんですよ既に。
ただ、自分も底辺の非モテ出身。
「モテない」ことによる絶対的な不幸感は凄くよくわかります笑
・世界に拒絶されているような気持ち
・世界から嘲笑われているような気持ち
・雄としての言いようのない不能感
街を歩いて女性やカップルや陽キャが笑いながら歩いていると、まるで自分が嘲笑われているような気分になりました。
うん、やはりこの状態は「幸せ」とは言えないかも知れない笑
逆に言えば女性を攻略し、女性に満足した今では全くこの感覚はなくなりました。
結論。
僕たちは現代日本に生まれたというだけで時間軸で考えても時空軸で考えても相対的にめっちゃくちゃ恵まれている「幸せ者」である。これは覆しようようのないほどの客観的事実である。
ただし、男はある程度女を攻略できていないと雄としての不能感からくる不幸感から逃れることはできない。
つまり、男が幸福になるには不能感を感じない程度に女を攻略しさえすればいいということになります。
そしてインターネットSNSのおかげで僕らはいくらでもメンターを見つけることができるので行動する者にとっては幸せになることは地球始まって1番レベルで簡単なのだ。
おわかりだろうか?
僕らが幸せになるためにしなければいけないことは「不能感を感じない程度に女攻略をすること」だけなのだ。
そこまで達成しさえすれば後はもう「おまけ」である。オプションだ。オプションは楽しむだけでいい。
誰かのいう意味不明な「幸福論」なんぞに耳を貸す必要はない。
ありもしない「理想の幸せ」なんぞを追いかける必要もない。
わけのわからない誰かが決めた「幸せ」に捉われて、それが達成出来ないから不幸とか考えてしまうから幸せを感じられ無いんだ。
美味しいランチ1000円で食べられるだけでどう考えても十分幸せなんだよ。
やるべきことは明白。
さっさと女を攻略してさっさと幸せになろうぜ!
「幸せ」の先へ。